昨日、電話で友人と話しました。
夜中の長電話。
特別なことを話すわけでもなく
食べ物の話や今は行けないけど
旅の話など他愛のない会話をしていました。
そんな中でYouTubeの話題になりました。
友人が
「今人気のYouTubeがあるんだけど
子供たちがやっていて、その父親はそれまでやっていた
仕事を辞めて動画の編集をしているらしいよ。
今はいいけど、子供たちが大きくなったら
できなくなるのに仕事も辞めちゃうなんて
ちょっと考えが甘いよね。」
と言いました。
私はその動画を見ていないのですが
「でも、そういう思い切ったことができる人って
色んなアイディアを持っているだろうから
その時はその時で考えるんじゃない?」
と言いました。
すると、友人は
「でも、子供たちだって一時的にこんな
人気が出てなんか勘違いしちゃいそうだし、
仕事を辞めるっていうのはちょっと浅はかだと思う。」
と言いました。
その後に私がどう返したかは忘れてしまったのですが
この話はそれで終わりました。
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先程、お風呂に入っていた時に、ふとこの会話を思い出しました。
いつもの私なら
「今はいろんな生き方があるし、いろんな可能性があるから
一概にそうとは限らないんじゃないかな?
私たちが最初に就職活動をした時とは時代も変わってきているし
個人の生きたいように生きられるようになってくると思うよ。」
なんて友人を説得するように言っていたかもしれません。
でも、その時の私はそうはなりませんでした。
友人の価値観や生き方は私と違うことは
学生時代から分かっているので
彼女がどんな価値観をもってその話をしたかは
私には十分分かっています。
これまでの彼女の経験、価値観をもとに
その考え方があるので彼女がそう考えるのは
極めて普通なことで、それと同じように
私もこれまでの私の経験と価値観をもとに
私の考え方があるのでそれを自然と分けて
私の中で考えられているんだなと思いました。
彼女の考えを否定せずに
私の価値観を押し付けずに
自分の中でちゃんとすみ分けができている。
ちょっと意外でした。
多分、以前の私なら私と同じような考えを
持っていそうな友人に
「こういうことを言っている人がいたんだけど
それって違うよね?今は自由に生きることが
当たり前になっていく時代だよね」
なんて話して
『私は正しい』ということを『証明』する
行動をしていたかもしれないなと思いました。
今回なぜ私はそれをしなかったんだろう?
したいと思わないんだろう?
と考えたときに
もしかしたら私少し成長したのかな
と思いましたが多分そうではなくて……
これからは自由に生きられる時代
私も自由に生きられる時代
という価値観が私の中で
しっかりと根付いているから
なんだということを感じました。
もしこれが
私も自由に生きていきたいけど
本当にできるのかな?
という不安を持ちながらの価値観だったら
誰かに話して「あなたの考えは正しいよ」
と言ってもらいたくなるかもしれません。
でも、そうはならなくて
誰からも「あなたは正しい」と言われなくても
私は自由に生きられる、
やりたいことを楽しみながら生きることができる
と確信しているということが分かり
嬉しくなると同時にほっとしました
心を自由に生きていこう
ますますそう思いました